第二十章
■六月二十日いよいよ出発■
 六月二十日、いよいよ今日出発の日だ。空は五月晴れ、何ともすがすがしい。「旅立ち」にこれ以上の天気はない。飛行機での移動時間、現地での入国手続き、ホテルのチェックイン等、いろいろ考えて、ざっと計算してみると、今日から3日ばかりトランペットを吹くことができない。私は胆石で入院の時以外、3日以上ラッパを吹かないなどと言うことは一度もないのだ。悲しいかな練習をしないと調子が悪いという恐怖症に取り憑かれている。

 今日もその恐怖に負け、朝早くから旧宅の練習場で二時間ほどたっぷり練習をする。
私の練習は、精神安定剤のような物だ。
「これで安心してアメリカに生けるぞ!」てな事をつぶやきながら遅い朝飯に取りかかる。
「しばらく日本食ともお別れだ」トランクいっぱいの日本食を入れたことなどすでに忘れている。
我が家の出かけるときは、いつも戦場だ。前の日に全部用意しておけば良いのに、やれパスポート、和英辞書、リップクリーム、ドルの小銭、はたまた爪切りまで、入れた、入れないの大騒ぎ。だいたい出発予定時間を一時間越えるのが普通だ。今日も案の定、十一時半が、時計を見るとぴったり十二時半だ。基本的に私が一時間近く「さば」を読んでいるというのも事実。「出かけるときはは落ち着け!」と一番慌てているのが私だ。
 二週間も一家で留守をするとなると、新聞屋に配達をストップして貰ったり、やれ植木に水をたっぷりやったり、郵便物のことを頼んだりと、いろいろあるもんだ。

 大泉インターから外環、東関道、順調に成田についた。約束のパーキングに車を預け飛行場へ。平日の午後2時半だと成田空港も閑散とした感じだ。すでにバンドメンバー全員集合していた。

 今回のツアーは、我が家からはマネジャー代わりの妻を含め3人、ギターの向里直樹一家、奥さん、娘さん合わせて3人、クラリネットプレーヤー後藤雅広、ピアノ後藤千香、ベースの小林真人、今日の出発はこの九人、四日遅れでドラムの楠堂浩己は出発する。

合わせて十人。このメンバーハはプレーもさることながら、協調性においても問題のない人選だ。しかし二週間ともなると、人間というのはわがままが出るものだ。問題が発生しなければ良いがと思った瞬間、
「中川さんすいません。お預かりしているディキシーランドジャズのメモリブックを忘れてきました」
「まじ?」と私。
「だから前の晩、トランクに入れておけといっただろ!」
向里直樹が奥さんに向かって文句を言う。ここで夫婦喧嘩が始まりそうな勢いだ。

しかしここ成田ではもう手遅れだ。
「まあまあ」と二人をなだめ、宅急便でアメリカのホテルに送って貰うことにした。現在は昔と違い、フェデックス(アメリカの宅急便会社)で四日もあれば着くという計算で、今自宅に電話をしすぐに送ってもらえば、二十四日には手に入る勘定だ。ところが、世の中簡単にことは運ばない。この事件が解決するのに丸一ヶ月かかる。

 実はあの本がないと、急にリクエストが来たとき等、また、向こうのミュージシャンとセッションをするときなど困るときが有る。出発前の最初のピンチだ。
「何とかなるよ、大丈夫だよ。」ここで向里直樹を攻めたところで、どうにもなるものではない。なんと言ってもこういう長いツアーは、チームの和を持って事を運ばなくてはならないのだ。
お世話いただいた旅行社の方から航空チケットを受け取りUAカウンターへチェックイン。旅行社の方から旅行中の注意などを受け、出国手続きも無事にすます。

 忙中閑あり、飛行機が離陸までに一時間ほどの時間がある。
 日本ではなんだかんだと忙しく、入手できなかったアメリカでのボランティアに、「日本のお土産を」と、デューティフリィーで物色するも結局は月並みに扇子を購入することにした。
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