第二十五章
■I am not sure!■

「いよいよ明日から演奏が始まる」と言うことで、早めにホテルに帰って、各自楽器のトレーニングをすることになった。最初の中は私もミュートを着けて練習していたものの、最後にはオープンで思いっきり練習してむしまう。サマータイムの関係で、夜は九時頃まで明るい。ホテル側も夜の十時までなら「練習OK」の許しが出た。
 このホテルにはインターナショナルのバンドが宿泊しているので、あちらこちらから楽器の音が聞こえてくる。

 ボランティアと明日の集合時間、ステージの雰囲気によるユニホームの打ち合わせをしなくてはならない。もちろん英語だ。こういう作業を英二郎が全部やってくれた。日一日と、英二郎がバンドのリーダーとなっていくのが目に見えてくる。
ホテルではギターの向里直樹一家の部屋が狭いと言うことで、ホテルのフロントと掛け合わなくてはならなくなった。本来はリーダーである私がやる仕事だが、一番若い英二郎が全部交渉し、無事希望通りの部屋に入る。我が子ながらびっくりだ。

 朝十時にロビー集合。ユニホームは三通りほどもっていく。もし室内ならクーラーがきいて涼しいだろうし、屋外ならこの日差しだからかなり暑いと思われる。我々インターナショナルバンドは、出演料に加え、往復の渡航費用、宿泊費、等費用が相当かかるので、コンサートの一週間前は営業活動をする。ホテルからおよそ一時間半ほど行ったところに今日の私たちの演奏会場があった。どう見ても砂漠の真ん中としか思えない。のっぺらとした野原の真ん中に老人ホームのモデルハウスがあった。今日はその展示場のオープンらしい。

 我々のバンドのドラム楠堂浩己が四日遅れてくる関係で、こちらカリフォルニアのドラマーがエキストラで参加する。 言葉はしゃべれなくても、音楽は世界の共通語だ。今日のエキストラのドラマーと「ナイストゥミーツユー」私の知っている数少ない英語だ。
このドラマーとは、私は去年共演しているのでお互いに覚えていた。こうなると、「ナイストゥミーツユー」に「アゲイン」が追加される。なんと言っても本場アメリカのミュージシャン、とくにドラマーは日本人と違いリズムが大変良い。我々の言葉で言うシャープだ。私の英語ではそのドラマーに曲名をを言ってもなかなか通じない。最後の手段は、耳元で演奏する曲を歌ってきかせるのだ。それで大抵通じてしまう。

「さあいよいよアメリカでの第一声だ。頑張っていこう!」皆で声を掛け合ってステージへ。
 記念すべき一曲目は「At the jazz band ball」もちろん英語はが通じなかったが、大きな声で歌って聞かせた。
「Do you know?」「ご存じですか」
「I am not sure!」「ああもんだいないよ」
「Please give me drum solo 8bars」「イントロにドラムを八小節下さい」
もちろんこの英語の中には、丁寧な言葉は省略されている。と言うと聞こえはよいが、はっきり言って丁寧以後は使えないのだ。実際向こうの人がこれを聞いたら、
「あいつの英語はなんと乱暴な言葉だ」と思うことだろう
これで通じさせてしまうのだから恐ろしいものだ。と言うよりは、図々しいと言ったほうがよいだろう。
この「At the jazz band ball」は昔、ジャズ評論家の故河野隆二氏がNHKの「ジャズアワー」と言う番組でテーマに使っていた曲だ。ディキシーランドジャズの中ではベストテンに入る曲。
 その日の最初の曲というのはあまり小難しくては行けない。かといって、だらだらした曲でもだめだ。一曲目でその日一日の調子が左右されることがあるので、曲選びには神経を使う。
そう言う点ではこの「At the jazz band ball」と言う曲は、私は適当な曲だと考えている。が何度か私のライブを聴いた方はなるほどと思われるだろう。こうやってなんとかアメリカ初日のステージが始まった。


この日初日のドラマーは、派手さはないが、さすがにアメリカ人だ。タイムの取り方、リズムキープがよい。日本人のことを悪く言う気はないけども、国民性、文化の違いは何ともしがたい。気持ちよく演奏が始まった。
 雲一つないカリフォルニアの青空の下で、空気は乾燥していて、管楽器、弦楽器とも日本の湿気から解放されよく鳴ること。思わず「気分が良いなぁー」と言わずにはいられない。
「やはりジャズはこういう空気の下で生まれたんだなぁー」と実感する。
しかし、この砂漠の中の、老人ホームのモデルハウス村は
「このように人里離れた炎天下で大丈夫かな?」と思わせるほどの暑さだ。三十六度はあるだろう。こんな中、散歩でもしようものなら、
「十五分もいかない中に日干しになってしまうぞ!」としか思えない。
 しかしさすが老人用をモデルハウスだ。適当な年齢の夫婦が仲良く見学に来て、また我々の音楽を聴いてくれている。
 いまのうちに、本コンサートの曲目の下調べをして置かなくてはならない。
「Do you have any request?」「何かお聴きになりたい曲はございますか?」のつもり。
「strutting some barbecue」客席から声が飛んだ。ルイアームストロングの曲だ。
「sure」「OK!」日本でも良く演奏している。すぐさまピアノの後藤千香のイントロでリクエストに応えた。私たちにとっては当たり前のことだが、向こうの年輩の方にとっては、間髪を入れずに演奏する日本人を見て、少々の驚きを感じているようだ。

「strutting some barbecue」も問題なく終了した。
「Do you have another request?」「他には?」
「five peonies」「五つの銅貨」
「OK」このリクエストは我々バンドのボランティアからだ。演奏しないわけにはいかない。向里直樹のギターのイントロで始まった。私もトランペットからコルネットに持ち替えた。
 実はこのコルネットには、今回のツアーにも深い意味が有る。十年前になるがこの楽器は故Mr.ワイルドビルデビソンから譲り受けた楽器なのだ。彼が来日の折りに
「競演した記念に」と直接彼から譲っていただいたのだ。世界に三台しかないと聞いている。私はバラードを吹くときにはこの楽器を使うことにしている。
 真心を込めて「five peonies」「五つの銅貨」を演奏した。私の心が通じたのか大きな拍手を頂いた。言葉はしゃべれなくても音楽だけは世界の共通語だ。

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